左心低形成症候群と子育て日記

子供が左心低形成症候群(HLHS)でした。1歳半でフォンタン手術まで完了し、無事2歳を迎えました。

フォンタン手術が終わりました

現在の状況

フォンタン手術が終了。術後3ヶ月ほど経った現在、退院済みで在宅酸素は継続。酸素1リットルで酸素飽和度は80台後半。合併症は横隔膜神経麻痺が片方に発生したが、だいぶ動くようになってきたところ。しばらくは麻痺の回復を待って、酸素が上がってくるのを待っているという状況。

フォンタン手術〜退院までの概況

手術前日〜当日

前日入院。手術は朝スタートで14時半頃終了。執刀医曰く「普通に終わりました」ただ後片付け&麻酔覚めを待っていたら、結局18時頃まで待ちに。18時頃に状況説明があり、想定内の範囲だがまだ血圧が低く、酸素飽和度も70まで下がったので、ベストシナリオで想定してた人工呼吸器離脱はできずとのこと。明日までつけるのは確実。明日外せるかは五分五分とのこと。19時から面会。人工呼吸器等々の補助ありとはいえ、酸素飽和度は92(たぶん生まれて初めて)まで上がっていた。血圧も面会開始時は80くらいは最後は90くらいまで上がっていたので、薄皮を剥ぐようにではあるが、回復基調には乗ってきたかなという印象。30分ほど面会して帰宅。明日も朝イチで面会の予定。できれば循環器科の担当に今後の見通しを確認する予定。

〜手術後1週間

翌日には抜きたいと言っていた人工呼吸器だが、なかなか状態が安定せずに抜くことが出来ず。2日ほど経過して時点で、腹水が溜まってきたたためドレーンを追加。その後もなかなか酸素が上がってこなかったが、4日目に人工呼吸器離脱。早めに抜管したほうが予後が良いことがわかっていたため、早く抜けないかは何度かICU循環器科と相談した。むくみなども酷い状態が続いたが、やはり人工呼吸器を抜いてからのほうが、回復が早かったようには思えた。

〜手術後3週間

ICUからの離脱に時間を要した。どうしても酸素飽和度が上がってこなかったため、3週間経った時点でカテーテル検査を実施。右肺動脈のバルーン拡張も同時に行った。検査の結果は、横隔膜神経麻痺が発生して、肺が広がって来ないのが要因だろう。特に手術で触った部分ではないが、圧迫などで起きたと考えられる。保存療法で3ヶ月〜半年で回復する傾向にあるが、どうしてもダメな場合は縫縮術を行う場合もあるとのこと。見た限り、完全に麻痺してるわけではないので様子見と言うことに。

この頃にはICUに長く居ることでICU症候群になっている気があり、表情も乏しくなっていた。なかなか笑顔も見られない状況で、付き添いも時間制限があったため、家族のストレスもかなりのものに。結局検査後、数日でドレーンなどはつけたまま一般病棟に。結果として、これが吉と出て、回復が進んだ。

〜退院

術前は歩き始めていたくらいだったが、一般病棟に移った時点では寝たきりの影響でお座りもできず。食事も鼻からの経管栄養だったため、かなり弱った状態からスタート。お座り、掴まり立ちは徐々に出来るようになったが、問題は食事。離乳食もかなり進んでいたのだが、食べても吐いてしまい、食事を再開してから2日目には口もつけない状態に。離乳食初期レベルの流動食に代えてもらったが、飲み物とスープしか口につけない日々が続いた。結局、病棟に移って、1週間ほど退院。幸い牛乳は飲めていたため、経管栄養ではなく、退院後の回復を待つ形となった。

〜術後3ヶ月

心配だった食事は1週間ほどは、何度か吐いたりと、なかなか進まなかったが、好きなモノだけ少しずつ食べさせていくうちに徐々に復活。退院1ヶ月ほどで術前と同じくらいには食べられるようになった。1つ目の影響として、横隔膜神経麻痺の良化と歩調を合わせた形で食欲も回復していったところを見ると、麻痺により上手く飲み込みが出来ていなかったということだったように思える。また2つ目に利尿剤であるサムスカを退院後しばらく内服していたが、その影響かやたら飲み物を欲しがり、そのため食事が進まなかったということも考えられる。とにかく食べられるようになったのは良かった。

酸素飽和度も退院時点で酸素1リットルで80前半だったのが、3ヶ月で80後半にはなってきた。こちらも麻痺の良化にあわせてといったところ。まだ完全に動いているわけではないので、完全に動くのを待って、もう一度今後のことを考えることになるだろう。心配なのはバルーンでも拡張した肺動脈が片方が以前狭いこと。外科的な介入の可能性も示唆されているが、これについては明確な治療方針が定義されているわけではないので、セカンドオピニオンまで検討が必要かもしれない。退院直後は肝臓の肥大が見られたが、こちらは徐々に回復している様子。経過を見るしかないだろう。

フォンタン手術を終えて

とにかく今回の手術は家族が精神的に辛く、ストレスも大きかった。ノーウッド+グレンまでは手術をしないと点滴も外せず、前に進めないというのが明確な状況であったため、前を向いてやるしかないと腹を括れた。今回はいったん日常生活が送れており、発育も進み、歩ける姿まで見ていたため、そこから手術&ICUで寝たきり&表情も反応も乏しくなるというのが非常に厳しい。

加えて、我が家の場合は、人工呼吸器離脱やICUをでるのに時間を要したことも厳しかった。順調なフォンタン手術だと術後すぐ抜管、1週間で病棟などという情報も事前に聞いていたため、なかなか思うように進まない状況に焦れたところもあった。ICUの担当医と外科・循環器科では、カンファレンスは行われていたとは思うが、今後の見通しに対する温度感には差があった時期もあったため、やはり総合的に話を聞いた上で、家族としての心配な点や要望というのはキチンと伝えていくのが重要だと感じた。

結果として、今はよく歩き、発達も進んできたことから、術前よりも良い状態に持って行けたという感触はあるが、フォンタン手術が一番家族の負荷が大きいという噂はやはり本当だったと思う。フォンタン適応でありながら、手術をしないという選択肢は現状の医療では考えられないことではあるが、手術に当たっては本人だけでなく、可能な限り家族のサポートも万全とすることが大事なことだったように思える。
※仕事は入院中は事前に休暇を当てていて良かった・・・・・・。

また次のカテーテル検査あたりでブログは病状は更新予定。なお手術からだいぶ経ってから書いているため、忘れていることもあるが、もしご質問があれば、コメント欄にどうぞ。